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2006年04月01日
4月1日
::カテゴリー 07:「プライベート」
今日、4月1日は家内の一周忌です。
親族のほか、たくさんの友人たちにご出席いただき、無事に法要を済ませることがことができました。
お取引関係の皆様にも暖かいお気遣いをいただきましたこと、感謝申し上げます。
まことにありがとうございました。
「いない」という単純な表現ですが私にはつらい現実とあらためて思わされた一日でした。
この1年間は時に長く感じ、時にはあっという間であったようにも思えますが、私自身は1年にとどまら
ず家内との30年間をずいぶんと考えさせられました。
考えすぎて忘れていた古いことまでたくさん思いだしました。
あれは確か私が高一の秋頃だったと思います。
四街道駅 3時49分か4時30分発の千葉行きの電車、僕はドア際に立ち、もうじき発車のベルが鳴ろ
うとしたときに改札口から走ってきた女の子が晴美でした。
先に乗っていた私のドアに彼女はぎりぎり飛び込むように乗り込んできました。
彼女は息をきらせながらドア際に立つ私の目の前にいて、私の目に入った学章がオレンジ色。
同級生だ!!
私はA組、晴美はたしかD組だったと思います。
同級でもクラスが違い、フロアもちがったのでよく知らなかったんですが、そのときにハーフの子が同
級にいるのかと勘違いしました。 栗毛色の髪と色白なところ、青味かかった瞳がとても印象的でした。
高二のクラス換えで一緒になり、どことなく気になる子でした。
そのころの自分といえば、相変わらずやる気もなく目標も見いだせず、考えていることは退学することばかりだったんです。
中学時代の同級生は他校でしたが一人を除いて、みんな中退してパチンコ、雀球、麻雀三昧で私も同
様で学校を休んでばかりいました。
高二の夏頃だったか、仲間だった洋治くんが同じクラスのモモコとつきあい始め、秋の修学旅行には、
たまたま洋治もモモコもそれぞれ4人グループで、その中に私も晴美もいて、なぜかペアになって行動
したんです。
京都の清水寺で雨が降り出し、彼女の傘に入れてもらい、それからバスの移動も隣り合わせに座り、
そこには調子にのっていた自分がいました。
そのときに七宝焼きのペンダントをプレゼントしたのが、女性を意識した初めてのプレゼントだったような気がします。 (いまでも我が家にあります。)
先日、洋治君と会って話したんですが・・・・・・・・
初めて夜の千葉公園を腕組んで歩いたこと。
夜行バスで行った富士急ハイランド。 仮眠室で寒くって抱き合って寝たこと。
犬吠崎の初日の出などなど・・・・・・・・・・・・好きになった。 どんどん好きになった。
人の運命はどうなっているんだろう。
私たちも親の都合や、いろんなことでたぐり寄せられた出会いなんだろう。
結婚を決め、3月26日に日取りを決めたときに、お互いの両親が昭和30年3月26日に結婚している
ことを知り、赤い糸の運命を強く感じ、あらためて幸せを誓い合った二人だった。
今、私が社会の一員として世の中で活かされているのは間違いなく家内の支えと、家内の不器用でまっすぐな生き方によって、私も道をそれないでこれたからでしょう。
その不器用だったけど正直に生きることを子供たちに伝えなければいけないと考えています。
人は物じゃなくて、やはり人なんですよね?
当たり前のようだけど、物扱いする人がいるけど、やめましょうよ!!
以前にも書きましたが、私たち二人の人生は地球上ではちっぽけであっという間の出来事なんでしょう
が、我が家にとっては立派な礎をつくってくれた人です。
私自身の持ついやなところを彼女のおかげで子供に受け継がれないですんだところもあるのでしょう。
それでも私たちの血が子供から、そして未来永劫、長い長い時間、これから脈々とつながっていくこと
の偉大さと尊さに私もこの年齢になって目覚めたような気がします。
この1年、お寺の納骨堂、そしてお墓にはほとんど毎日通いました。
これからも私はきっと心の中で家内に謝り続けながら生きていくのでしょう。
三人の子供たちの成長振りで私は家内に許してもらうしか方法がないのでしょうね。
投稿者 n_yoshizawa : 2006年04月01日 23:46