2008年05月31日
電車利用
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5月から通勤だけに限らず、現場調査、役所調査、お客様との打ち合わせも
電車を利用し始めました。
不思議なことに、乗り換えや歩道での信号待ちなどで、毎日のように3年以上
ぶりに偶然に不義理していたお客様とお会いします。
本当に不思議です。
「お元気でしたか?」と声をおかけいただき・・・この一言が私としてはお詫びの気持ち
とともに全身に浸みます。
電車利用する行動は現状の業界不況に体力と耐力をつけ生き抜くことの決意からでした。
まずは、自分が何者かをしらなければならないというところからのスタートです。
特にこの「本当の自分さがし」は強く考えています。
初心に戻れなかったら、そして世の中が私を必要としていただけないのなら終わりと
さえ考えています。
「もっと良い仕事をさせていただきたい。」という希望が一段と湧いてきてもいます。
多くの皆さんに力をいただいているこの時間が、とても不思議です。
私の父親は、私が小5の時に会社をつぶしました。
その後、私が小学校する卒業までは単身で茨城県日立市に住み込みで働き、中学入学とともに
千葉市に引越してきて、父は都内の建設会社に就職し家族がやっと一緒に暮らせる事になりました。
父もがんばったんでしょうねぇ。毎日のように午前様でしたが、早々に役職につきそれなりの立場を
作っていったようです。
私の母親は、上京するにあたり千葉に住むことが決まるまでは私を連れ、寮母になろうと面接に行って
いた記憶があります。
結果的に千葉市で風呂なしの2部屋のアパートに住むわけですが。
それからの母は昼間は千葉そごうで働き、夕方からは狭いアパートで近所の子供さんを集め「塾」を
開き働きづくめでした。(元教員だったんです。)
その間に、旧公団に申し込みし3DKの賃貸に住み、それから同じ団地内で分譲に移りと前向きに生
きてきたんですよね。
私自身も、中学出たら働くと心の内で決めてました。
結果は高校に行きましたが、半分以上は自分の稼ぎで行きました。
私は苦しいとき、辛いとき、一丸になれることが大切なんだと親の背中をみて育ちました。
私自身がキツイ時も、口は出さないまでもいつも見守ってくれている家族がいました。
本当にありがたいものです。
長男も社会人になりましたが、彼も私が見守ってくれているという気持ちは感じてくれているようです。
学校では教えてくれない大切なことが家族の中での教育にあるんでしょうね。
それぞれ家庭環境が違うのでしょうが、そういう我が家で良かったと思います。
言葉では伝えることさえも、理解いただけることではない範囲ですものね。
これもひとりよがりと、ご違反いただくんでしょうね? まぁ、どうでもいいことです。
投稿者 n_yoshizawa : 2008年05月31日 08:51